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「制御できない」から愛おしい

東京での暮らしは、まるで完璧に管理された温室のようだった。空調は常に快適な温度を保ち、天気予報の精度は驚くほど高い。インフラは寸分の狂いなく動き、暮らしはどこまでも予測可能で、安全が約束されている。人間が作り上げた、快適で過ごしやすい理想郷であった。

しかし、その完璧さに、私はいつしか言いようのない息苦しさを感じ始めていた。すべてがコントロールされている世界では、季節の匂いも、肌を刺す風の痛みも、どこか他人事のように感じられた。守られすぎた環境の中で、自分という生き物が本来持っているはずの、野性的な感覚が鈍っていくのがわかった。私は、もっと生の手触りを求めていたのかもしれない。

ホワイトアウトの中で

月日はさかのぼり、学生時代、北海道に移り住んで初めての冬、その日は突然やってきた。大学構内を歩いていたときである。さっきまで見えていた景色が、一瞬で真っ白な虚無に飲み込まれた。ホワイトアウトだった。上下左右の感覚が消え、天地の境目さえ曖昧になる。命を脅かすほどの極寒が渦巻いていた。その瞬間、「生きることは、当たり前ではない」と悟った。

そこでは、社会的な肩書きも、積み上げてきた知識も、何の意味も持たない。ただ、この極限状況をどう生き延びるか。思考はその一点に集中し、五感は研ぎ澄まされる。それは、私が都会の温室で失いかけていた、ただの「動物」としての自分に還る瞬間であった。

どうしようもなさを受け入れた先に

人間の作ったルールが一切通用しない圧倒的な自然は、その「どうしようもなさ」を前に、私は「世界をコントロールしよう」という人間の傲慢さから、解放された気がした。自分は万能の存在などではなく、この巨大で、時に美しく、時に牙を剥く自然というシステムの一部に過ぎない。

その事実を肌で感じ、受け入れた時、心の中にあった息苦しさの正体がわかった。私は、すべてを制御しようとする世界の窮屈さから、逃れたかったのである。そして、この厳しさがあるからこそ、春の芽吹きに心から感動し、夏の爽やかな風に感謝できる。この厳しさと恵みの両方を知っているからこそ、「この場所を失いたくない」という想いが、より一層強くなる。

最悪を知って最高の堅牢を創る

この原体験は私のシステム設計思想に影響を与えた。私の設計の原点は常に「最悪の事態」から始まる。サーバーは必ず落ちる。ネットワークは必ず途切れる。予期せぬアクセス急増は、いつだって起こりうる。それはまるで、予測不能な北海道の天気のように。

だからこそ、私はシステムのレジリエンスを重視する。常にリスクを想定し、何重もの備えを用意しておく。完璧なコントロールを目指すのではなく、制御不能な現実を受け入れ、その上でどうしなやかに、そして力強く生き残るか。

北海道の冬が教えてくれたこの哲学は、私がシステムを創る上での、そして私自身がこの世界を生きていく上での、揺るぎない道標となっている。この「どうしようもなさ」を愛せるようになった今、私はようやく、本当の意味で地に足を着けて、物事を創り出すことができるようになった気がする。