名著「ハッカーになろう」を読み返した。態度や実践について考えたことを言語化しておきたい。
ハッカーは肩書きではなく、自由を好み、問題を探して解き、知識を共有し、他者の賢さを尊重する態度そのものである。ベースは「世界をより良くハックして公開する」ことにあると考える。
技術的には UNIX/Linux、Python、ネットワーク、暗号、英語読解、オープンソース参加といった要素が語られるが、これらは手段であって本質ではない。好奇心駆動によるサイクルを何度も回すことで、評価は外部から自然に形成されていく (ハズ)。
「他者の賢さを尊重する」という言葉に触れて。人との関わり方を「賢い/賢くない」という軸で測りすぎるのはよくない。尊重すべきは賢さそのものではなく、成果物や議論の中身、あるいは人物そのものだ。計測する視線ではない。
正直に言えば、技術コミュニティにいると無意識に「この人は賢い/そうでもない」とラベルを貼る癖がつきがちである。でもそれは学びを痩せさせる。誰からでも学べることはあるし、自分が知らない領域では相手の方が深い理解を持っている。焦点を人ではなく問題に戻す意識を持ち続けたい。
VSCode のような IDE が抽象化を厚くする一方で、内部を覗く行為を怠ると理解の地盤が薄くなる。オープンソース開発をしていれば UNIX/Linux は少しずつ身につくはずだが、IDE 完結で何でもできる環境では話が変わってくる。
便利さを否定するつもりはない。ただ、節目ごとに「この操作は OS のどこを触っているか」「このライブラリは何をラップしているか」を意識的に掘り下げる習慣が、後々に効いてくる。便利さを享受しつつ、低レイヤーへの関心は常に開いておきたいと思っている。
いかに”好奇心駆動”できるか。これが一番難しい。外から与えられた課題をこなすだけでは、どこかで燃料切れを起こす。生活や開発の中で感じる小さな摩擦、微細な違和感、そこから問いを抽出する方が継続性は高い。
そして、得られた成果物に対し、いかにフィードバックを得られるか。作って終わりではなく、公開して反応を受け、改善する。この往復を増やすことが学習を加速させる。よく言われることだが、小さくてもいいから「出す→反応を受ける」循環を回し続けることが、評判形成よりも先に来る行動となる。取得したフィードバックを即座に循環させると、他者との学習共同体が自然と形成されていく。これを繰り返すしかない。
肩書きは結果であり、営みは現在形で続いているかどうかに価値がある。今日書いた輪を明日もう一度回せるか、それがハッカーかどうかよりも重要だと感じている。